境内の見どころ...attractions



鳳凰図

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本堂中央(大間)の天井に描かれている鳳凰図です。
葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品といわれています。
北斎は83歳を初めとして小布施に4回訪れており、
4回目の滞在約1年をかけて大間天井に鳳凰図を描きました。
翌年江戸に戻り、90歳で亡くなっています。


大きさは畳21枚分。
作成から160年以上たっていますが塗り替えは1度も行っておりません。
朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍など
顔料を膠水で溶いた絵具で彩色されており、
周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています。
制作時の痕跡として、絵皿の跡が残っています。


これまでの鑑賞方法を見直し、
文化財保護の観点より、お静かに座って鑑賞いただくようお願いいたします。



福島正則公


正則肖像画

福島正則公は元亀天正年間の戦国武将・豊臣秀吉の重臣として
賤ケ岳の戦いでは「七本槍の第一」と称せられました。
また関ケ原の合戦でも勇名をはせ、広島城(49万8千石)の大大名になりましたが
幕府の謀略により元和5年(1619)秋、この信越地方(4万5千石)に国替えさせられました。

悲運を嘆きつつ在信5年、寛永元年(1624)7月13日 64歳で薨じています。




福島正則公 霊廟
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霊廟には遺骨を埋葬し、「海福寺殿前三品相公月翁正印大居士」の戒名を刻んでいます。
遺品には、左遷状や太閤葬儀行列帳などがあります。

関ケ原の合戦の後、全国の領主が新に定められた新城主となった大名は
領地内に菩提寺を創建する事が慣例でありました。
正則公の菩提寺は「京都 臨済宗大本山妙心寺・塔頭海福院」でしたが、
国替え・移封のため、当地に菩提寺を求めました。

正則公は禅の信者であり、観音信仰が篤い方でおられ、
その縁から当院を復興し「海福寺」の寺号を附加して中興開基となられました。
築城不可・領地分散等種々の制約の中、
壽鑑和尚との深縁をもって悲運の名将正則公はここに眠っています。

※冬期はお入りいただけません。

 

  蛙合戦の池

池と欄干

春の花見が終わる頃になると、裏庭の小さい池に
大人の手のひら大のアズマヒキガエルがいずこともなく集って来ます。
メスの産卵をオスが手伝うためですが、
メスが少ないために奪い合いとなって合戦となります。

1年の内の約5日間、昼夜の別なく、数十匹の蛙が入れ替わりくくみ声をあげての戦いは
静かな山寺の春の風情となっています。
産卵から50日すると産み落とされた卵は小豆大の子蛙に成長し、
またいずこともなく消えていくのです。

蛙たちは3年から5年でまたこの池に産卵に下りてきます。
そのため"必ずかえる"福蛙とも呼ばれています。

※池は直接近くでご覧いただけますが、冬期のみ室内からご覧いただくようになります。

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